エッセイスト酒井順子さんによる書き下ろし連載。から15年。50代を迎えた酒井順子さんが“安心して老けられること”について掘り下げます。今回のテーマは仕事。否応なしにベテランになってくる私たちは、後輩たちのロールモデルになりうるのか……。

 


大手企業の総合職を3年で辞めたわけ


 20代の女性会社員と話していた時のこと。 総合職として働く彼女からは、仕事が大好きな様子が伝わってきます。かといって、髪を振り乱して必死に働いているわけでもなく、ファッションも恋愛も楽しんでいる。
「彼が転勤になったので、私も転勤願いを出して、今は一緒に住んでるんですよー」
 などと明るく話す様子を見て、自分達の時代との変化を感じた私。我々が20代の頃、自分から「転勤したいでーす」などと申し出る女子は、いなかったのではないか。そして、
「彼と一緒に住んでるんですよー」
 と、明るく言う人も。

 思い返せば私が就職したのは、男女雇用機会均等法が施行されて4年目。いわゆる「均等法第一世代」とされています。時はバブル。さらに言うならば私の学年は、出生数がガクッと落ちたことで知られている丙午生まれであるため、全体的に人数が少なく、何かにつけて競争率は低かった。

 そんなわけで、私達はものすごく高い下駄を履かせてもらいつつ、就職活動に挑んだのでした。男女雇用機会均等法とやらができて、採用は総合職と一般職というものに分かれるらしい。……ということを聞いてはいたものの、諸事情をよく理解していなかった私は、よく考えずに某企業を受けてみました。色々あったものの、何とか内定を得ることができたのは、まさに時代がもたらした高下駄のお陰。平成元年度入社の新入社員として、私は社会に出たのです。

 その時、あろうことか私は、自分が総合職として入社したということに気づいていませんでした(事実です)。その会社では当時、四年制大学卒の女子は全員、総合職採用となっていたことを知らずに、入社した。

 面接の時などに、
「で、あなたは総合職にします? 一般職にします?」
 などと聞かれて選ぶものかと思っていたら、まさかの自動的総合職。入社してからかなり焦ったのですが、女子の同期達を見てみれば、今風に言うなら「意識高い系」っぽい人ばかりで、
「総合職だったって、知ってた?」
 とは、とてもではないけれど聞くことができませんでした。

 かくして私は、予期せぬ総合職として働き出し、案の定、早々に挫折を味わったのです。当時の女子総合職というと、大手の企業においては、東大とかを出た人がほんの数名採用される、というイメージ。私のような意識低い系がいるとは、誰も知らなかったことでしょう。そして低い意識はそのまま仕事に反映され、私は周囲に大迷惑をかけ続けることになりました。

 この事例から理解することができるのは、当時の企業も学生も、男女雇用機会均等法やら女性総合職というものをよく理解していなかった、ということです。もちろん、ちゃんとした学生達は制度をよく理解し、「私は総合職」とか「私は一般職」と就活前から心を決めて、覚悟を持って働いたのだと思います。が、体育会の部に所属し、企業訪問の解禁日(というものが当時はあった)直前までインカレに人生を捧げていた私は、よくわからないままに就活、そして社会へ。

 そんな女性社員を、企業もどう扱っていいのか、よくわからなかったのだと思います。

私の場合は、ホウレンソウ(報告、連絡、相談というやつ)が全くできずに業務をズルズルと遅延させても、尋常でなく善人であった先輩や上司が、黙って尻を拭ってくれました。そのような善き人々に多大な迷惑をかけ続けることが辛くて、私は3年で会社を辞めることになりました。


「ああはなりたくない」と言われてしまう先輩たち


 が、私がいた職場のように、女子総合職の新入社員という珍獣を「とりあえず餌はやっておくか」と丁寧に飼育してくれた企業は、おそらくレアケース。多くの企業では、「総合職ってことは、男と一緒に扱っていいってことね」と理解されました。総合職を選ぶような女性はもともと真面目ですから、彼女達は、
「私が頑張らなくては後輩に道を拓くことができない」
 とか、
「男性の倍は頑張らないと、女性は認めてもらえない」
 などと、がむしゃらに働いたのです。

 その結果、頑張りすぎて心身を壊したりする人が続出。のみならず、プライベートをなげうって仕事に没頭した結果、結婚や出産の機会を逃し、後輩の女性から、
「ああはなりたくない」
 と陰で言われていたりもしました。

 雇用均等法第一世代の我々が世に出た時代、その手の女性達の扱い方は、トライ&エラーの繰り返し。耐えきれずに会社を辞める人も多かったものです。
 今、雇用均等法第一世代の女性達がどのようになっているかを見ると、数は少ないながら、頑張り続けている人もいるのでした。その手の人達は、心身共に強健です。後輩達の「ああはなりたくない」という声も耳に入らないほど仕事に没頭し、それなりの地位を得たりもしている。

 中には、結婚して子供を持ちつつ、仕事を続ける人も。その手の人は親の力を借りまくり、またお給料の多くを育児のために費やして、何とか仕事と家庭を両立してきたのです。

 その手の人の姿も、下の世代から見ると「そこまで頑張らなくても」と映るようです。仕事も結婚も子供も、と全てを手に入れたように見える人も、ギリギリのところまで頑張っているわけで、下の世代は、「とてもあんな風には頑張れない」と、さっさと諦めたりもし
ている。

 前出の20代総合職女性も、
「仕事は楽しいんですけど、何か上の世代に、目指すべきロールモデルがいないんですよね」
 と、つぶやいていました。会社の先輩女性を見ても、「ああなりたい」と思うような存在がいないのだ、と。
 私はその言葉を聞いて「えっ」と思ったことでした。それというのも、30年前に私が会社員時代、1年上の先輩女性社員と話していて、全く同じ言葉を吐いたことを記憶していたから。

 機会均等法が施行された直後でしたから、当時は自分よりも上の世代の総合職女性は、いなくて当然でした。女性は、サポート的な仕事に就く人がほとんど。自分達がこれから働きながら年をとっていった時、「あの人のような人生がいいなぁ」と思う対象が見当たらなかったのです。

 
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