こんにちは! 

いかがお過ごしでしょうか。先日、大阪に行ってきたのですが(別日にブログに書きますね!)暑くて暑くて!びっくりしました~。しかし、黄や赤に色付いた葉を見て、秋を堪能しました。お住まいの地域は、いかがですか。

ーーーーーーー

さて、インスタ辞めたりワードローブ改革をしたり……と、私は変化の時期を過ごしています。ヘアスタイル、メイク、顔の相、暮らし方、服装。いつからか、すべてが噛み合ってないように感じてしまいます。子供ができたから、仕事が変わったから、等と色々な要素はあるものの、なんだかもわ~んとした妙な不安感がつきまといます。

水道ひねれば水が出て、スイッチ一つで部屋が灯り、米が炊けるこの暮らしに置いて、なにがそんなに私の心をざわつかせるんだよぅ。見える、話せる、聞こえるこの身体で、いったい何がそんなに不安なんだよ、何が足りないんだよ、と、抗う日々。

そんな中、大阪で過ごした時間で、私、認めました。自分がダサいなーってこと!気付きのきっかけは、街ですれ違った二人の女性です。

アンクル丈のパンツ・スーツにトートバッグという、ビジネスファッションの女性。清潔感があって、邪念がなくて(!)清いお仕事スタイルの女性。「仕事を優先して、清潔感を大切に」している礼儀正しい印象が素敵でした。

鮮やかなフューシャピンクのモへアのニットに、豹柄のロングのプリーツスカートを自分のモノにしていた女性。足元は、ニットと同じ鮮度のパープル色をした、スウェードのヒール低めのパンプス。明るめのカラリングをしたヘアスタイルは緩く巻いた上に、シニヨンにしておくれ毛を少し。自身の「スキ!」を鮮やかに体現されている最高のエネルギー。

なるほど。自分がダサいのも、致しかたない。だって、軸が「わたし」じゃないんだもーーん。完全に外側からの情報をちょっぴりアウトプットしただけのファッション。「わたし」そのものが、ない!。中途半端なんです。

じゃ、どうすりゃいいのかと、電車に揺られる私の心が出した答えは、「 ″ダサい“ を怖がらない」というもの。

2歳児を抱っこするのに神経を使う服は、私からあの子へと伝わるはずの愛情を削いでしまう。つま先の汚れが気になるシャレ顔な靴は、あの子の心拍と掛け足が興味へと突き進むことを止めてしまう。そんな親に、私はなりたかったか?

仕事も家事も育児もして、肌はツヤツヤ、お料理上手でインテリア・センスは抜群、その上道行く人にオシャレ!と思われたいのか?いやいや、そんなん無理だから。社会の「素敵の押し売り」に惑わされるな私。

先のブログで紹介した本での、印象的な一節を思い出しました。

「世の中の多くの人が、自分稼いだわけでもないお金を使って、 欲しくもないものを買い、好きでもない人を感心させようとしている

ちょっと極端にも思えますが、まったく当てはまらないわけではないなぁ。特に後半の「好きでもない人を感心させようとしている」という部分は、ファッションにおいて自分以外の目線が組み込まれてしまうことに通じていると思います。

清潔感と礼儀さえあれば、流行の色やデザインじゃなくても、私はいい。流行に乗ってないファッションで結構。汗と泥にまみれた我が子をギュッと抱き寄せる事に勝る行動なんぞあるまい。この愛こそが、今一番私に必要なことなんだもの。

大阪から沖縄への帰路、飛行機から夕暮れを見つめました。「いいのよ、好きなものを好きに着て。」という慰めを、自分で自分に説きました。

 

次回は、娘と旅した大阪について書きます。大阪、、好きです!