長い朝ドラの歴史の中で、絶対王者と言えるのはやはり『おしん』でしょう。その放送は1983年ですから、オンタイムで見た読者は少ないかもしれませんが、それでも『おしん』を知らない人はいません。なぜこんなにも長く日本人の心にとどまり続けているのか。『おしん』が放送された時代背景とともに、フリーライターで、(講談社現代新書)の著者である木俣冬さんが分析されています。


視聴者たちは刺激を求めていた


『おしん』は今から35年前、1983年に1年間放送された。その平均視聴率はなんと52.8%、最高視聴率に至っては62.9%という驚異的な数字を記録している。なぜ『おしん』がこれほど当時の日本人の心を掴んだのか? 私なりに考えるべく、改めてその内容を振り返ってみたい。

おしんが生まれたのは明治時代の山形。前半の少女時代は、貧しさのあまりおしんの母が真冬の川に入って堕胎しようとしたり、おしんが奉公先で泥棒の濡れ衣を着せられたりと、「よくもまあ、これを朝から観ていたなあ」と思うほど、理不尽でつらい出来事の連続だった。
それを辛抱して何とか切り抜けていったおしんは、やがて東京で髪結いとなり、夫の竜三と出会い、洋服屋を始めて軌道に乗るものの、関東大震災ですべてを失ってしまう。仕方なく夫の故郷・佐賀に戻るものの、激しい姑のいびりに遭い家を出る。そして三重に行き着き、魚の行商を始めるが、第二次世界大戦が勃発。長男を失ったうえ、夫は戦争の責任を感じて自決するという悲劇にみまわれる。それでも懸命に生きてスーパーマーケットを開店する、というのが大まかなストーリーだ。

このように、『おしん』は非常に「構造が分かりやすい」ドラマだった。世界的演出家・蜷川幸雄が、「貧しい少女が逆境と戦って成長してゆく構造」とひと言で表現していたが、この分かりやすさはヒットの要因の一つだろう。
実際、『おしん』といえば一番に“貧乏”、“辛抱”といった分かりやすい文字が浮かぶ人がほとんどだろう。しかしながら脚本を書いた橋田須賀子は、決してそのようなつもりはなかったと自叙伝で述べている。むしろ、日本が豊かになりすぎておかしくなっていることを懸念し、生き方を改めて考え直してほしいという思いを込めていた、という。
では橋田が懸念を抱いた当時の日本はどんな時代だったかいうと、テレビドラマに多くのヒット作が生まれていた。不倫をする妻たちを描いた『金曜日の妻たちへ』、女子中学生の非行を描いた『積木崩し』、学歴社会から落ちこぼれ鬱屈した青春群像を描いた『ふぞろいの林檎たち』などである。主人公像は違えど、視聴者は皆、同質の刺激を楽しんでいたのかもしれない。

 
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